昭和五十六年十月二十一日 朝の御理解


御理解第七節
「天地金乃神は昔からある神ぞ途中から出来た神でなし、天地は流行る事なし流行る事なければ終りもなし、天地日月の心になる事肝要なり信心はせぬでもおかげはやってある」


 この御教もこ*で申します前代未聞の宗教とか開*以来とかと云うそういう特色を教えておられる御教えだと思ひます。ね、天地日月の心になる事肝要と*というような私は宗教が過去に*てあっただらうか。信心はせぬでもおかげはやってある。というような寛大な神があっただらうか。ね、お道の信心を頂いてそのただおかげを受ける、御利益を受けるという事だけではなくて、過去の一切がこの生き生きとしてくるという事。生きる事。お道の信心による時にいわゆる 信心はせぬでもおかげはやってあると仰せられる そのおかげをいよいよ実感する事がでけ、それを限りなく細やかに頂いていく事がでける信心ですね。ですから限りがないおかげにも*ながっていくわけですけれどもね どんなに例えば忌わしいと思われておった過去を持っておる人でも 一度びお道の信心に縁を頂いてなら この御教えに もしまあふれて その人がそれに傾倒するというか 感動をもってこの御教えに取り組んだら もう本当ね いろいろ過去にさまざまな過去をもっておる人たちが ようもそういう所を分からせてもろうた たどらせてもろうた という事になるんです。もういわゆる私は金光様の御信心を頂いておると 過去一切が生きてくるというような事は 前にも まあ申した事がありますけれども それはどうして過去の一切が生きてくるかと云うと 天地日月の心になる事 肝要だと分かり、その心に傾倒していく。その心を自分の心に頂いていく。まあ 最近それを まあ 天地一如と云っておったようなね と云う事になるのです。それをしらずして云うならば 過去の云うならまあ因念を作っていく、又は罪を犯したままで終わっていく人がどの位多いか分かりません。その罪も因念も消えるという過去が 云うならば許されるろいうだけではなくてね。そのおかげで いうなら天地人一如の世界にも住んでいくようなおかげが頂けれるというのが お道の信心であり、この御教えは、そこん所を頂く手立てなんですね。ただのお詫びをして許されたというだけでは許されるというだけではなくて その事に対してお礼が云えれる いわゆる過去の事が生きてくる 過去にそういう事があったおかげでという事になる。ね まあそれをひっくるめて一切神愛というようなふうにも表現されますけれども、具体的にです 本気で私共が天の心とは 地の心とは 日月の心とは という追究を自分の生活の上に天地日月の心の生き方を 身につけていく信心を体得させてもらわなければならん。ね そこから過去の一切が許されるじゃなくて、過去の一切が生きてくる ね 四五日前に 宮崎の木下先生から電話がかかってきた。まあ一人息子のここで丁度百日間修行しました木下君。まあだ高校卒業前からぐれだした。もう云うならば ありとあらゆる悪いことをした。もう拾い上げるなら本当にびっくりするような事で、勿論 まあ家庭 お父さんというのが別の所で生活をしておられて お母さんは学校の先生しながら 娘さんが今ヨ-ロッパの方で 音楽の稽古をさせてもらって その一人息子 そのヨ-ロッパに行っておるお姉さんに 木下君が最近手紙をだしておる。その手紙を お姉さんがこんなにも人間がかえられるもんだろうかといって その姉さんに出した手紙をお母さんの所に送り 送り出し 送って来ている。その手紙を電話で それこそ泣き泣き読まれたんですけれどもね 鬼に角 そのまあすばらしい変わり方。最近 宮崎の方で青年会を結成しようと この記念祭がございます 五年祭があります。その記念祭前に青年会のリ-ダ-として結成を さして頂きたい。共励会にまいりましても 普通の方達が例えば 延岡の共励会であると 田中先生の所で 下は一般信者の方達 二階は青年ばっかりで まあその木下君なんかが中心になって 一生懸命信心。鬼に角人間が本当に幸せにならうと思わなければ もう合楽の信心を頂かなければ出来んと云う もうぎりぎりの所を焦点にして 生活を進めておるという感じです。いまそんなふうに お父さんを恨んだり憎んだりしておったお父さんの所で まあ慣れない あのう 豚を飼っておられるですね、養豚 ずいぶん大きくしておられるそうですから そこで一生懸命お手伝いさせて頂いておる。先達ってはそこに まあおばさん、おばさんというておられるひとが お父さんの面倒を見ておられるわけですけれど はじめはこのおばさん このばばがおかげでというような その憎んどったのが もうこのごろはそのおばさんを大変大切にする。このごろは怪我をされた事のお届けをして来ておりましたが 本当にあのう もうそれこそ何か*の 何というですかね *まるということはこういう事からだろうと思われる位なその頂き方 考え方がでけるようになっておる。ね 例えば なら お母さんとしても鬼に角 手のつけられない息子を持ったおかげで合楽に御縁を頂いた。なら木下君自身も、まあ あるとあらゆる 云うなら今の若い人がいろいろもうあらゆるいろんな悪いという悪というような感じの事をやってのけてますね。新聞紙上なんかに見ると それのどれでも一つの大家なんですこの人は ね それをなら今までまあ今あちらに帰ってから もう自分達の自分の同僚が尋ねてくるともう鬼に角 一生懸命信心の一時までも二時までも お話しをするそうです。そしてさあ 御祈念というて皆にもその御祈念させるそうです。ね また警察の御厄介になっとる連中も居るから そういう床とにも行って一生懸命お話しをするそうです。ね だからなら木下君に過去にそういう暗いというか そのそう言う過去が許されて今日のおかげを頂いとるのじゃなくて その事に対して そう言う所まで 一辺通らせて頂いたおかげで そういう人達を云うならば導く事も助ける事もでけるというような まあ輝かしいものになってくるわけ。ね そして本気でなら合楽の信心歯結局は天地の日月の心になる事以外にないんだと いよいよ成り行きを尊ぶんだ土の心でいくんだと云ったような天地の芯になる所をふんまえての生き方 これが人間が幸になっていく土台だと云うことを思ひこめれるようになるという事は すばらしい事ですよね。
過去にそういう忌まわしい過去を持っておる それが忌まわしいどころか 輝かしいものになり 生きてくる。ね それこそようもようも天地の大恩を知らなかったからとはいいながら、お粗末御無礼の限りを*して来た。そこに改まりが出けた。そして本気で天地日月の心になる事の信心を生活の上にあらわしていく事が出ける。ねそこからね いうならば許されただけではなくて その事に対してお礼が云えれる程しの 云うならばおかげの世界に住む事が出ける。ね 天地日月の心になる事肝要そこでね その簡単にそういうけれど、いよいよのぎりぎりの時にそこの所を*そはずしたら いかに天地日月の心 心 というてもです 昨日私が佐田秀記先生が毎日ここでお届けをされます。今日もどうぞ合楽理念の実験実証をさしてください。というまいつも毎日同じお届けしとるのかもしれんけれども 昨日に限ってもう「はい」という言葉が出らん位に私は感動したんです。どうでしよう皆さん。今日もどうぞ合楽理念の実験実証さして下さい。と云いながらここでこそ実証しなければならないという時にですよ、そこをいい加減にしたらどう言う事になるでしょうか。神様にお礼を申さしていただいとりましたから ハはムとこう頂いた。庁*名のハを書いてム、庁*名のムとれを一つにすると公というじになるですね。ね これはね 彼がいわばプロとしてのですよね 云うならば人を取り次ぎ助ける事の出ける事の為にですの修行と頂いたです。人を取り次ぎ助ける事の為に先ず自分自身が合楽理念の実験をし 実証をしておらずじて その合楽理念 合楽理念を云うた所で 云うなら又実証させる事は出来ないです。これはプロというだけのこつじゃない。合楽に御縁を頂く皆さんの場合もそうです。今日も本気で 合楽理念の実験実証さして下さい。たいていの事はずうっとおかげを頂いてさしてもらいよるばってんいよいよここでと云う時にです さあ金に頼り 物に頼り さああれにこれにというなら合楽理念にそれた生き方 いよいよ大事ないよいよ実験さしてもらわんと云う時に 間違うたんではですね 力にならんです。ね 天地日月の心になる事肝要と分かって そしてそれを具体的に合楽理念によって分らしてもろうて そして日々おきてくる一切の事柄の中にね とりわけ普通では難しいと思われるような事。そういう場合であっても ならここを合楽理念によって実験さして下さい。実証さして頂くチャンスを頂いたとして受けていくような生き方にならんと いわば今日の御理解の内容というか芯というか それに触れる事が出けないと思うですね。どうぞ一つ本気でいわゆる天地日月の心 それをなら合楽理念に基づいて合楽理念による いよいよ実験実証 確信のいわば安心の喜びの生活をいよいよ目指して頂かにあならんと思うですね。
                      どうぞ